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備えること。

私は仕事柄、高齢者と接する機会が多い。今の高齢者の世代はちょうど、経済の成長と共に歩んでこられた方々である。基礎年金だけで、最低限の介護サービスは一応受けられる。公助がある程度機能している。そこに、企業で長年働いて来た方だと厚生年金やら貯蓄やらで、それなりの生活は出来るはずだ。ふつーに働いていればふつーの老後が送れるのが今までの日本だった。このふつーの老後とは衣食住が足り、具合が悪い時に医者にかかれるというくらいのことをいっている。
ところがどっこい我々の世代はどうだろう?
ふつーに働くことすらままならないではないか。
そんなことでふつーの老後を送ることは容易ではないことは想像がつく。

年金は当てに出来ない。
社会保障も圧縮される。
公助が小さくなる。

日本にお金がないのだから仕方が無い。否、あるところにはあるのか。
正確に言うと、所得が上がらないのだから仕方が無い。
親父達の様な暮らしぶりを今からしていたら、子供の教育、自分たちの老後が保障されない。
だから、少しでも倹約して生活するんだ。
後は、ご近所さんや色んな方との繋がり、コミュニティーを大切にすることも大事だと思う。
ネットの繋がりなんて脆いものだ。
いざという時に機能するのは顔と顔の付き合わせたコミュニケーションだ。
ネットは一助くらいにはなると思うけど。

今を生きることは、未来を作ることになる。
毎日、呼吸法をしながら、自分の願いを確認しながら、健康に留意して、淡々と仕事を続けるのが僕の願いである。そんな、ささやかと思える様なふつーの生活がとてつもなく今の僕には幸せだ。
それはうつ病患者にはよく分かるはずだ。

先日、久々に仕事にのめり込み過ぎてしまって、少し波を招いた。

こういう時は、もう、主治医の所に駆け込まなくなった。頓服も飲まない。

こういうとき主治医が何をしてくれる?
筋肉注射?点滴?カウンセリング?入院?
それで、本当にこの波を乗り越えられるのか?

いざというとき、波が来た時に、本当に頼れるのは自分だけなのだ。
自分がどういう行動をとるかによって、次の「今」が変わってくる。

呼吸法をして、強く願う、そして、次の 「今」を待つんだ。
その時まで、ただひたすら、願い、息を吸い、そして吐く。
そして、呼吸法と共に「動く」。
そうやって、息をしながら次の 「今」が来るのを待つんだ。

そうしていると、事態は自ずと変わってくる。
自ら、動けば、乗り越えられるのだ。
それが、自信になる、経験になる。
「ああ、こうやれば、薬を飲まなくても乗り越えられるじゃないか。」

今までなら、薬を飲んでも乗り越えるまで時間がかかった。低空飛行のまま、暫くうつうつしていたのが、嘘の様なスピード感で回復への階段を駆け上がる。

その代わり、波が来た時は、もう必死だ。
必死に呼吸をする。
ここで撤退するわけにはいかないんだ。
これは執念だ。
もの凄く強い意志だ。
この願いは譲れないんだ。
絶対に譲れない。

呼吸をしよう。
良い時も悪い時も。
特に悪い時は、執念を持て。
強く願え。
それだけのもの(願い)が無いと、きっと、また波に呑み込まれて、思考の渦の中だと思う。

本当は思考ではないのだ。
思考には終わりがある。
思考ではない、単に囚われているだけの話だ。
サークルを何回も周回しているだけで終わりが無く元に戻る。
そういうのは思考とはいわない。
抜け出すスキルが無いと苦しい。

本当は、こんな対象と作用の浮き沈みに苦しんでいる自分を遠くから眺めている自分を意識したい。
「おー苦しんでる苦しんでる。おー良くなった良くなった。おー調子に乗ってる調子に乗ってる。」
そこに自分は無い様な気がすることを本当に、本当に自覚してみたい。
それが出来れば、波が来ても、もう少し余裕を持って迎えられると思う。

今の僕はまだそんなところ。
磨く余地がたっぷりありそうだ。
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プロフィール

おだやか

Author:おだやか
 双極性障害Ⅱ型、社交不安障害、高機能自閉スペクトラム症との共生の記録。

 SIMTと社交不安障害に対する認知行動療法を実践しています。

 自分の回復と生活を妨げない程度に更新予定につき、ご了承ください。
 

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