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認知症・・・



や〜、樋端先生のスライドは分かりやすい・・・
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主観を排す

 日々、生活していると、色々な音を耳から、視覚情報(光景、人の表情、所作など)を目から、胃痛や頭痛やだるさ,吐き気、動悸などを各内臓感覚から、それぞれ、脳を介して感じますね。
 僕の場合、マインドフルネス心理療法を勉強する以前は、特に人間関係において、他人の言葉や、表情を、自分で勝手に解釈し、うつ・不安を招いていたことがよくありました。
 そのこと自体は、マインドフルネス心理療法を勉強する前から気づいていたのですがどうすれば良いか分からなかったのです。
 これは、今の自分も完全には出来ないのですが、他人の言葉は単なる「音(聴覚情報)」として、表情や所作は「モノ(とでもいおうか、視覚情報)」として、それぞれを「対象」として、自分が感じている(聞いている、見ている)「作用」を、時に吐く息を感じながら、もう1人の自分みたいなものが、そのままに、眺めている・・・
 そんなイメージで、対象(感覚器から受け取る情報)と作用(それを感じていると言うこと)を眺めているもう1人の自分(内なる自分)を働かせると良いかなあと思います。
 そして、今自分が為すべき本当の事(目標、価値、願いに合致したと思う行動)は何か?を選択して行動するようにします。行動の結果は評価しません。吐く息に集中して次の行動を選択してゆく事の連続です。
 理想的には、これを起きている時間全てに及ぼしたいです。
 僕の職場に、「あれ?怒ってます?」と言って他人の顔色をうかがう女の子がいるのですが、昔の自分はそういうの良く分かるなあと思うのですが、今は何とも思いません。
 人間、考えないと脳に「空き容量」が生まれます。そこに、支えてくれている人への感謝の思いとか、生かされている喜び(呼吸が出来る、ご飯が口から食べられる、目が見える、言葉が話せるなど)とか、肯定的な思いを入れてあげると良いかなって思います。
 結局、自分は自分以外の他人、つまりは、全ての人に支えられて生きているのかも知れません。
 嫌だなあと思っている他人もそれは裏を返せば、そういう他人と上手く付き合う術を教えてくれているのですから、何とか折り合いを付けて、やってゆくチャンスとも言えます。
 嫌だなあと言う気持ちはそれを「作用」として感じながら、吐く息に集中して、自分のすべき事をやっていれば良いと思います。
 それから、特にうつの人は、朝、理由も無く調子が悪い日があると思います。
 あれは僕の私見ではコントロール不能なので、放っておくのが良いです。(そんな簡単にいえない程、辛いですけど・・・)
 できれば、ただ、息を吐きながら、強制的に動くと良いと思います。回復期の人です。
 僕の場合は、そういう時は、朝、シャワーを浴びていました。そのお湯が体に当たる感覚や、シャワーの出る音や、温かいと言った感覚をそのまま感じて、もちろん、調子の悪さも感じて、呼吸法を同時にしていました。
 その内に、朝の調子の悪さは減ってゆきます。今でも、たまに調子の悪い日はありますが、呼吸法をして動けば消えるので、気にしないことにしています。リハビリが必要みたいです。
 仕事に行っている人で、朝の調子の悪さに出勤ギリギリまで悩んでいる人はいないでしょうか?
 僕は何回もありました。
 そういう時は、客観的に見てくれている人に、出勤か欠勤かを決めてもらうのも良いと思います。本当に辛いと決断力も失われてしまいますから。
 僕は、気分が酷いとき、妻が欠勤を決めて、電話までかけてもらったことがあります。
 1人暮らしの人などは、呼吸法をして、出勤ギリギリまで苦しく思い煩うようであれば、欠勤する方が良いと思います。それが病気からの症状であると言う事が自覚出来て、「怠け」「余裕が少しでもあるのに回避」とかの本音が自覚されない場合です。
 欠勤の電話を入れたら、その後に後悔や後ろめたさを感じる人もいるでしょう。それを長引かせていると、うつが改善しないし、折角の欠勤で出来た時間が勿体無いです。
 なので、その日は「呼吸法の日」にすれば良いのではないでしょうか。
 後悔や後ろめたさや調子の悪さや同僚の顔や色々浮かんでグルグルするでしょうが、そういうものに名前をつけて、感じていると自覚して呼吸法をしていましょう。
 そして、出来るだけ動くと良いです。
 まずは、ふとんの中で寝返るとかからでも良いと思います。その内に催してきたら、トイレに行くと決めて、トイレに行く、用を足しながら呼吸法もしている、後ろめたさ諸々も感じているともう1人の自分みたいなものが眺めている・・・
 お腹が空いたら、それを感じながら、呼吸法をしている、何が作れそうなら、買いにいけそうなら、そうしてみるなど・・・そして吐く息に集中する事に戻りながら・・・
 そんな日々を過ごしているうちに、自分で考える事がうつや不安の種になる事に気づくと思います。
 自分の思考や感情からなるべく離れる事が出来るようになると良いと思います。
 主観をなるべく入れない、入れたら、観ていると言う事だと思います。
 復職してから、自分はこういう日々が続きましたが、大分楽になりました。
 自分がコントロール出来るのは今の自分の行動だけです。過去はもう無いし、未来はまだ無いです。
 自分のことを自分で判断して決断して行動することができるようになると大分、他人に振り回されなくなるようになります。
 失ったもの、治らない病気、遺った障がい、降り掛かって来る不快な出来事、そして天命(寿命)は自分はどうしようもありません。なので、悲しいし、悔しいけれど、それも全て感じている自分を眺めながら吐く息に集中して、次の一手を自分で打っていけると良いと思います。
 うつ病も諦めずに治りたいと思って努力すれば何とかなると思います。
 僕もまだまだ道半ばですが、頑張ってゆきたいと思います。
 自分で動かない事には、物事は変わってゆきません。

つながりを持って生きる。

 僕が勤務している老人保健施設で96になるおじいさんが病気のおばあさんを介護しながらケアハウスに入居していて、週に何回かデイケアに来る。
 そこで、リハビリをしながら、世間話をするのだが、今日は2人の生活費の話題になった。
 病気のおばあさんを介護しながら、夫婦2人の生活費は40万円程だとのこと(但し、妻の医療費を除く)
 ・・・
 何かの間違いじゃないですか?と思わず、口に出しそうになった。

 いや〜、僕らの老後は清貧の思想でいくべきか?
 
 なるべく、丈夫で長く働きたい。しかし、思わぬ病気に罹って、まあ、それが不治の病だとしたら、まあそれも天命かなとも思う。その時の環境で出来るだけのことをして、それでも治らないなら、残りの人生を心豊かに生きようと思う。

 方やそんな生き方を地で行っている90歳のおじいさんのリハも僕は担当。下肢の筋肉が萎縮する難病で現在は車椅子生活。右眼は失明。妻は25年前に他界して、難病発症までずっと自分で家事全般をこなして1人で生きて来た。このおじいさんは僕の老後のロールモデルだ。知的にはしっかりされているので、コミュニケーションがとれる。実に温厚で、ニコニコしながら毎日とある宗教の本を勉強している。

 ある日、そのおじいさんに「おじいさんが25年間、孤独感に苛まれずに1人で生きてこられたのは、やっぱり、地域とのつながりとか、信仰とかそういう部分が大きいでしょう?」って単刀直入に聞いてみた。やはり、思っていた様な答えが返って来た。

 おじいさんは決して「1人で生きて来た。」のではなかった。そこには、地域の繋がりや信仰の繋がりがあり常に家に人が出入りする環境にあったのだ。鍵も要らない、無縁社会等とは無縁なお一人様人生を歩んでこられたのであった。金銭的には決して余裕は無いはず、着るものも最小限、出された食事、介助を受け、後は1日、片目でボロボロになった宗教の本を丹念に読む毎日。「100まで生きてみたい。」と穏やかに笑う。決して、満足のいくケアを受けていないのだが、ありがとうと笑って、流す。執着しない、恨まない、。不平不満も言わず、風のようにさらっと生きている。

 醸し出す雰囲気がたまらなく、僕は、憧れる。あんな晩年を送りたい。孤独でも、穏やかに天命に任せて、自分の役割を持って今を生きている。

 きっと、自分を見つめ、真面目に丁寧に生きて来たんだろう。そして、人との関わりを持ちながら、今を生きて来た結果の「今」なんだろうな。

 僕も縁があって、来年から、とある精神障害者支援のNPO法人の活動を見学させて頂く貴会を持つことになった。精神障害を持ちながら地域で安心して暮らしてゆくためには、周りと繋がる自分の居場所が無いといけない。

 それぞれの苦悩や弱さを克服するために躍起になるのも良いが、克服出来なくても、それをお互いに受け入れて、皆で補いあいながら,助け合って生きる。そんな、生き方をしてみたいと思う。自分の居場所を作るために、今から、少しづつ動き出してゆきたい。
 

備えること。その2

NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 助かった命が なぜ」(11月13日21:00〜)を視聴。「震災関連自殺」がテーマである。
一つのキーワードとして「喪失体験」と言う言葉が取り上げられていた。
人はそれぞれ、大切しているモノがある。
それは、主観的である。

家族、友人、仕事、故郷、苦労して建てた家、今まで苦労して積み上げて来た、大切にして来たモノを失う時、人は、生きる希望を失ってしまう。心の糸が切れる。

TVに出て来る人々を視て、ああすれば良かったのに、こうすれば良かったのにとか迂闊に言えない自分がいる。

僕のうつ病の発症の仕方と原因が違うし、喪失体験が起こす、心の壮絶な無力感が中々想像出来ない。

苦悩は主観だがら。

僕は、マインドフルネス心理療法を勉強してから、「人はそれぞれ、他人に言えない様な、苦悩を背負って生きているから、願わくば、その苦悩を想像する力を持ちたい。」と願うようになったが、それにしても、東日本大震災関連、福島原発関連で人々が背負うことになったそれぞれの苦悩は如何ばかりだろうと。

主観だから、迂闊なことは言えないのだ。

ただ、迂闊には言えないけれども、やはり、そんな絶望的な苦悩の中でも、ヒトと繋がろうと、動いた人が人との関わりの中で新たな心の張りを見つけ、喪失体験を癒してゆくのではないかとなんとなく感じた。

まあ、そんな簡単なことではないことは、当然なのだが、それでも、なお、人と繋がって生きてゆくことが、喪失の傷を癒し、前を向いて歩いてゆくスタートになるのではないか?

そこからまた、苦悩が続くのだろうけれども、孤独でない、一人で苦悩の連鎖に入らないことが事態を深刻にさせない役割を果たすのではないか?と思った。

来るべき絶望に遭遇しても、なお一筋の光を見いだす智慧を身につけるべく日々修行。

備えること。

私は仕事柄、高齢者と接する機会が多い。今の高齢者の世代はちょうど、経済の成長と共に歩んでこられた方々である。基礎年金だけで、最低限の介護サービスは一応受けられる。公助がある程度機能している。そこに、企業で長年働いて来た方だと厚生年金やら貯蓄やらで、それなりの生活は出来るはずだ。ふつーに働いていればふつーの老後が送れるのが今までの日本だった。このふつーの老後とは衣食住が足り、具合が悪い時に医者にかかれるというくらいのことをいっている。
ところがどっこい我々の世代はどうだろう?
ふつーに働くことすらままならないではないか。
そんなことでふつーの老後を送ることは容易ではないことは想像がつく。

年金は当てに出来ない。
社会保障も圧縮される。
公助が小さくなる。

日本にお金がないのだから仕方が無い。否、あるところにはあるのか。
正確に言うと、所得が上がらないのだから仕方が無い。
親父達の様な暮らしぶりを今からしていたら、子供の教育、自分たちの老後が保障されない。
だから、少しでも倹約して生活するんだ。
後は、ご近所さんや色んな方との繋がり、コミュニティーを大切にすることも大事だと思う。
ネットの繋がりなんて脆いものだ。
いざという時に機能するのは顔と顔の付き合わせたコミュニケーションだ。
ネットは一助くらいにはなると思うけど。

今を生きることは、未来を作ることになる。
毎日、呼吸法をしながら、自分の願いを確認しながら、健康に留意して、淡々と仕事を続けるのが僕の願いである。そんな、ささやかと思える様なふつーの生活がとてつもなく今の僕には幸せだ。
それはうつ病患者にはよく分かるはずだ。

先日、久々に仕事にのめり込み過ぎてしまって、少し波を招いた。

こういう時は、もう、主治医の所に駆け込まなくなった。頓服も飲まない。

こういうとき主治医が何をしてくれる?
筋肉注射?点滴?カウンセリング?入院?
それで、本当にこの波を乗り越えられるのか?

いざというとき、波が来た時に、本当に頼れるのは自分だけなのだ。
自分がどういう行動をとるかによって、次の「今」が変わってくる。

呼吸法をして、強く願う、そして、次の 「今」を待つんだ。
その時まで、ただひたすら、願い、息を吸い、そして吐く。
そして、呼吸法と共に「動く」。
そうやって、息をしながら次の 「今」が来るのを待つんだ。

そうしていると、事態は自ずと変わってくる。
自ら、動けば、乗り越えられるのだ。
それが、自信になる、経験になる。
「ああ、こうやれば、薬を飲まなくても乗り越えられるじゃないか。」

今までなら、薬を飲んでも乗り越えるまで時間がかかった。低空飛行のまま、暫くうつうつしていたのが、嘘の様なスピード感で回復への階段を駆け上がる。

その代わり、波が来た時は、もう必死だ。
必死に呼吸をする。
ここで撤退するわけにはいかないんだ。
これは執念だ。
もの凄く強い意志だ。
この願いは譲れないんだ。
絶対に譲れない。

呼吸をしよう。
良い時も悪い時も。
特に悪い時は、執念を持て。
強く願え。
それだけのもの(願い)が無いと、きっと、また波に呑み込まれて、思考の渦の中だと思う。

本当は思考ではないのだ。
思考には終わりがある。
思考ではない、単に囚われているだけの話だ。
サークルを何回も周回しているだけで終わりが無く元に戻る。
そういうのは思考とはいわない。
抜け出すスキルが無いと苦しい。

本当は、こんな対象と作用の浮き沈みに苦しんでいる自分を遠くから眺めている自分を意識したい。
「おー苦しんでる苦しんでる。おー良くなった良くなった。おー調子に乗ってる調子に乗ってる。」
そこに自分は無い様な気がすることを本当に、本当に自覚してみたい。
それが出来れば、波が来ても、もう少し余裕を持って迎えられると思う。

今の僕はまだそんなところ。
磨く余地がたっぷりありそうだ。
プロフィール

おだやか

Author:おだやか
 双極性障害Ⅱ型、社交不安障害、高機能自閉スペクトラム症との共生の記録。

 SIMTと社交不安障害に対する認知行動療法を実践しています。

 自分の回復と生活を妨げない程度に更新予定につき、ご了承ください。
 

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