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病気と公的給付制度、これからの生活

 私は現在、2つの慢性病とおつきあいをしている。
 
 1つは内因性うつ病、もう1つは潰瘍性大腸炎、更にもう1つ加えるとすれば高血圧症(これは確実に遺伝の要素があると思っている。)である。

 うつ病に関しては自立支援医療受給者証(精神通院)と精神保健福祉手帳3級を持っている。これによって、1ヶ月の医療費の支払い上限が所得に応じて決められている。
 
 潰瘍性大腸炎に関しては特定疾患(つまり難病)に指定されているので、特定疾患医療費受給者証を受けて、やはりこれも1ヶ月の医療費の支払い上限が設定されている。
 
 その他に、私の住んでいる自治体は精神保健福祉手帳を持っていると、その自治体の福祉医療受給者証が所得に応じて発行される。これは、1レセプトあたり500円を引いた額が戻ってくるという制度である。(つまり保険診療における自己負担額は最終的に1レセプト500円)

 これら3つの制度に随分と助けられている。(特に福祉医療受給者証)
 
 以前、住んでいた自治体は福祉医療受給者証を受ける条件として「精神保健福祉手帳を有する者」は含まれていなかった。

 こういった、公的な給付制度、社会保障制度、障がい者施策は非常に大切である。もし、これが無かったら、健康保険で3割負担は私の所得では重すぎる。受診抑制がかかるだろう。この制度のお陰で、病気とお付き合いしながら働けているし、そこそこ人生を楽しむことができる。有り難い事だ。

 福祉医療受給者証の制度は、今住んでる自治体の保健福祉センター福祉課の職員から教えてもらって初めて知った。こういう制度は自治体が広報等でアナウンスしないと皆知らないと思う。(意地悪な見方をすれば敢えて、知らせないと言う事か・・・自治体の財政を考えて、申請に来る者だけを対象としているみたいな・・・)明らかに知らなきゃ損である。

 もし、うつ病やその他の病で苦しみ、経済的に余裕が無い様な方は住んでいる自治体の福祉課等に使えそうな社会資源があるか相談してみると良いと思う。自発的に動かないと状況は変わらない。

 僕は団塊Jr世代であり、僕が後何年生きるかは天のみぞ知るところである。今回は国会で見送られたが、2、3年後には年金の支給開始年齢の引き上げ、物価に合わせて年金支給割合の引き下げ、また、40歳になれば介護保険料の負担が発生する、消費税は上がることも確実だろう。世帯年収は下がり、超少子高齢化が2050年頃まで続いてゆく。2050年で僕は75歳。健康で生きていれば働かなくてはならないかなあ・・・終身労働かもしれないなあ。就職先が見つかればの話だけど。今の職場で定年後、何年雇ってくれるのか分からないけど。財産という程のものはないが、娘には生活に困らないように出来るだけものを残してあげたい。

 しかし、まあ、そう悲観する事も無い。やはり、働いて体を動かしていた方が心身に良い影響を与える事は身を以て分かる。僕にリタイアは無いのかもしれない。となると、定年後のセカンドライフなんてあり得ない(と思っている)ので、僕は今から程々に人生をエンジョイしないとなんて思っている。

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うつ病における精神科医の役割と患者の役割

 現在の主治医にかかってもうすぐ20年になります。良いときも悪いときも不信感を抱いたときもありました。それでも、今の主治医を信じて来たと思います。
 
 前回の診察の時に、主治医に「他の病院(と言うより精神科クリニックの方が多いと思うが)から来た患者さんは多いですか?」と質問してみました。
 
 主治医は「他の精神科ユーザーから口コミで来るらしい」とのことで、患者にどうして転院して来たのかを聞くと、「前の主治医は話を聞いてくれないから」と言う理由が圧倒的に多いということでした。
 
 実は主治医の病院は精神科を標榜していません。
 
 初診時ならまだしも、精神科クリニックで,再診で先生が長時間話を聞いてくれる所はそうそうないと思います。そう感じている方も多いのではないでしょうか?
 
 再診時にも十分に話を聞いてくれるクリニックがあったならば、それは、経営的に余裕があるか、自由診療だと思います。後は、その精神科医のポリシーとかやり方とか、利益度外視で自分のスタイルでやっているとしか思えない。
 
 精神科クリニック(精神科に限らずどの科もそうだと思うが)は普通は沢山患者を診ないと儲からない仕組みになっている。精神科医に自分の言いたい事が言えず、精神科医側も「お変わりないみたいなので、同じ薬を出しておきますね。」で終わってしまう診察を経験された方は沢山いらっしゃると思います。
 
 しかし、話をよく聞いてくれる医者が良い精神科医かと言うとそうでもありません。主導権を医者がしっかり握って(当たり前か)患者の話から状態を見極め、困っている事に端的に断定的にアドバイス出来る事(薬物療法であれば、薬の作用、副作用の説明。また、行動療法なら生活習慣の指導、社会復帰の時期の見極め等を話すこと。)が私が考える良い精神科医の条件だと思います。

 患者にも大事な役割があります。それは、医師のアドバイスを受けて自分が行動を起こせるか否かということです。四六時中、医者が傍らにいてくれる訳ではないし、それは医師の務めではなく自分の務めです。いつまでも医者に寄りかかっていてはいけません。

 また、医者との相性と言うのもあると思います。「この先生は何となく自分に合ってる気がする。」「何となく話しやすくていい」とか。そういう雰囲気を醸し出している先生に出会えると良いですね。しかしながら、その先生が本当に疾患を治癒させることができるかどうかはまた別問題です。相性がいいから話しやすいから何かといえば受診すると言うのでは依存的であると思います。精神科医は人生のよろず相談所ではないし、自分1人の専属医ではありません。
 精神科医が患者の様々な問題に対してどこまで介入するのか?そのバランス、距離感が難しい問題ですね。精神科医が薬物療法以外に環境要因や個別の問題(支えてくれる家族、家族の精神疾患に対する理解度、経済的困窮。職場の理解、1人で生活していて孤独感に苛まれている、社会的に差別されている等)にどこまで対応するのでしょうか?精神保健福祉士や臨床心理士がある程度役割分担をしなければいけないと思います。
 
 話は少し脱線しますが、私は昔、ドクターショッピングを繰り返していた時期があり、色んな精神科医と出会いました。

 その内の1人でパキシル(抗うつ薬の1つ)ばかりを出す医者がいました。そこクリニックを受診し、うつの症状を訴えると必ずパキシル(SSRI、抗うつ薬の1つ)を出されます。何がどうあろうとうつにはパキシル一本槍。ある日、その医者がふと「だって(患者さんを沢山見て、薬を出さないと)ペイ出来ないんだから。」と言ったのを聞いて、医者を変えようと思いました。患者を多くみて、パキシルだけ処方し、再診で回すように僕には見えました。

 僭越ながら、そこに精神科医としての懐の深さも無く、精神科医療の奥深さのかけらもありませんでした。そのクリニックはいわばパキシル薬局、パキシル医者状態で、極端なことを言えば僕でも代わりが出来ます。私には精神科医にはみえませんでした。幸運にもパキシルが上手く合って、随分良くなった患者さんもいるでしょうが。

 決断不能、昏迷状態の様なうつ病の重い時ではなく、ある程度快復したら、精神科医に過剰に寄りかかるのではなく、アドバイスと投薬を受けながら自分で動き、得られた経験を大切にすべきだと思います。その1つがマインドフルネス心理療法でした。誰かの押しつけではなく、自分が行動した事によって経験が蓄積され、思わぬ収穫もあるかも知れません。

 「案ずるより産むが易し」です。

備えること。その2

NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 助かった命が なぜ」(11月13日21:00〜)を視聴。「震災関連自殺」がテーマである。
一つのキーワードとして「喪失体験」と言う言葉が取り上げられていた。
人はそれぞれ、大切しているモノがある。
それは、主観的である。

家族、友人、仕事、故郷、苦労して建てた家、今まで苦労して積み上げて来た、大切にして来たモノを失う時、人は、生きる希望を失ってしまう。心の糸が切れる。

TVに出て来る人々を視て、ああすれば良かったのに、こうすれば良かったのにとか迂闊に言えない自分がいる。

僕のうつ病の発症の仕方と原因が違うし、喪失体験が起こす、心の壮絶な無力感が中々想像出来ない。

苦悩は主観だがら。

僕は、マインドフルネス心理療法を勉強してから、「人はそれぞれ、他人に言えない様な、苦悩を背負って生きているから、願わくば、その苦悩を想像する力を持ちたい。」と願うようになったが、それにしても、東日本大震災関連、福島原発関連で人々が背負うことになったそれぞれの苦悩は如何ばかりだろうと。

主観だから、迂闊なことは言えないのだ。

ただ、迂闊には言えないけれども、やはり、そんな絶望的な苦悩の中でも、ヒトと繋がろうと、動いた人が人との関わりの中で新たな心の張りを見つけ、喪失体験を癒してゆくのではないかとなんとなく感じた。

まあ、そんな簡単なことではないことは、当然なのだが、それでも、なお、人と繋がって生きてゆくことが、喪失の傷を癒し、前を向いて歩いてゆくスタートになるのではないか?

そこからまた、苦悩が続くのだろうけれども、孤独でない、一人で苦悩の連鎖に入らないことが事態を深刻にさせない役割を果たすのではないか?と思った。

来るべき絶望に遭遇しても、なお一筋の光を見いだす智慧を身につけるべく日々修行。

備えること。

私は仕事柄、高齢者と接する機会が多い。今の高齢者の世代はちょうど、経済の成長と共に歩んでこられた方々である。基礎年金だけで、最低限の介護サービスは一応受けられる。公助がある程度機能している。そこに、企業で長年働いて来た方だと厚生年金やら貯蓄やらで、それなりの生活は出来るはずだ。ふつーに働いていればふつーの老後が送れるのが今までの日本だった。このふつーの老後とは衣食住が足り、具合が悪い時に医者にかかれるというくらいのことをいっている。
ところがどっこい我々の世代はどうだろう?
ふつーに働くことすらままならないではないか。
そんなことでふつーの老後を送ることは容易ではないことは想像がつく。

年金は当てに出来ない。
社会保障も圧縮される。
公助が小さくなる。

日本にお金がないのだから仕方が無い。否、あるところにはあるのか。
正確に言うと、所得が上がらないのだから仕方が無い。
親父達の様な暮らしぶりを今からしていたら、子供の教育、自分たちの老後が保障されない。
だから、少しでも倹約して生活するんだ。
後は、ご近所さんや色んな方との繋がり、コミュニティーを大切にすることも大事だと思う。
ネットの繋がりなんて脆いものだ。
いざという時に機能するのは顔と顔の付き合わせたコミュニケーションだ。
ネットは一助くらいにはなると思うけど。

今を生きることは、未来を作ることになる。
毎日、呼吸法をしながら、自分の願いを確認しながら、健康に留意して、淡々と仕事を続けるのが僕の願いである。そんな、ささやかと思える様なふつーの生活がとてつもなく今の僕には幸せだ。
それはうつ病患者にはよく分かるはずだ。

先日、久々に仕事にのめり込み過ぎてしまって、少し波を招いた。

こういう時は、もう、主治医の所に駆け込まなくなった。頓服も飲まない。

こういうとき主治医が何をしてくれる?
筋肉注射?点滴?カウンセリング?入院?
それで、本当にこの波を乗り越えられるのか?

いざというとき、波が来た時に、本当に頼れるのは自分だけなのだ。
自分がどういう行動をとるかによって、次の「今」が変わってくる。

呼吸法をして、強く願う、そして、次の 「今」を待つんだ。
その時まで、ただひたすら、願い、息を吸い、そして吐く。
そして、呼吸法と共に「動く」。
そうやって、息をしながら次の 「今」が来るのを待つんだ。

そうしていると、事態は自ずと変わってくる。
自ら、動けば、乗り越えられるのだ。
それが、自信になる、経験になる。
「ああ、こうやれば、薬を飲まなくても乗り越えられるじゃないか。」

今までなら、薬を飲んでも乗り越えるまで時間がかかった。低空飛行のまま、暫くうつうつしていたのが、嘘の様なスピード感で回復への階段を駆け上がる。

その代わり、波が来た時は、もう必死だ。
必死に呼吸をする。
ここで撤退するわけにはいかないんだ。
これは執念だ。
もの凄く強い意志だ。
この願いは譲れないんだ。
絶対に譲れない。

呼吸をしよう。
良い時も悪い時も。
特に悪い時は、執念を持て。
強く願え。
それだけのもの(願い)が無いと、きっと、また波に呑み込まれて、思考の渦の中だと思う。

本当は思考ではないのだ。
思考には終わりがある。
思考ではない、単に囚われているだけの話だ。
サークルを何回も周回しているだけで終わりが無く元に戻る。
そういうのは思考とはいわない。
抜け出すスキルが無いと苦しい。

本当は、こんな対象と作用の浮き沈みに苦しんでいる自分を遠くから眺めている自分を意識したい。
「おー苦しんでる苦しんでる。おー良くなった良くなった。おー調子に乗ってる調子に乗ってる。」
そこに自分は無い様な気がすることを本当に、本当に自覚してみたい。
それが出来れば、波が来ても、もう少し余裕を持って迎えられると思う。

今の僕はまだそんなところ。
磨く余地がたっぷりありそうだ。

スティーブ・ジョブズのスピーチとマインドフルネス

 今日、放映されたNHKの「クローズアップ現代」は、先日、亡くなったアップル社創設者スティーブ・ジョブズ氏の特集だった。その中で、米スタンフォード大卒業式でのスピーチの映像が出て来た。非常に印象深かったので、全て聞きたいと思い、動画を探していたら、やっぱりあった。

 駒澤大学の山口浩先生の訳である。 http://www.h-yamaguchi.net/2006/07/jobs_2f1c.html

 彼はこの世に生を受けた瞬間から既に激動の人生を歩み出していたんですね。

 僕の中で印象に残った言葉をいくつか挙げてみたいと思います。

“And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. ”
「そんなふうに、自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、後からみればこの上なく価値のあるものだったのです。」

“Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. Because believing the dots will connect down the road, it gives you confidence to follow your heart; even it leads you off the well-worn path. And that will make all the difference. ”
「繰り返しますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。後からふり返って初めてできるわけです。したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。自分の勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいから、信じなくてはなりません。点がやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれます。これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。」

“Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did.”
「時として人生には、レンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。しかし信念を投げ出してはいけません。私が続けられた理由はただ1つ、自分のやっている仕事(author注:マインドフルネス的には自分の取り組んで来たこと,課題って言い換えても良いかもなあ・・・)が好きだったということです。」

“If you haven't found it yet, keep looking, and don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle. ”
「もしまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません。心というのはよくしたもので、見つければそれとわかるものです。そして素晴らしい恋愛と同様に、年を重ねるごとによくなっていきます。ですから、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません。」

“Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart. ”
「自分も死に向かっているという自覚は、私の知る限り、何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。あなた方はすでに丸裸です。自分の心に従わない理由はありません。」

 そして、以下のくだりは、まさにマインドフルネスに相通じるものを感じます。

“Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary. ”
「あなた方の時間は限られています。他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれてはいけません。それは他の人たちの思考の結果とともに生きることだからです。他人の意見の雑音によって自分の内なる声が掻き消されてしまわないようにしてください。そして最も重要なことですが、あなたの心や直感に従う勇気をもってください。心や直感は、あなたが本当は何になりたいのかすでに知っています。他のことは全て二の次です。」

 そして最後、この言葉で締めくくられている。
“Stay Hungry. Stay Foolish. ” 「ハングリーであれ。愚か者であれ。(author注:最後の“Stay Foolish.”は、マインドフルネス的には、まだ智慧を得ていないのだと自覚し、努力し続けろ。と自分は自分に対して訳したい。)」 

 ジョブズ氏の一貫した信念と自分で決めた目標に向かって突き進む情熱は、只只、敬服するばかりですが、自分なりに私も自分の直観を磨き、自分で決めた目標に突き進んでゆく生き方をしてゆきたいと思っています。

 改めて、偉大な方だと認識しました。

僕のコンプレックスとうつ病

 僕は頭が大きくおでこが広い面長である。しかも、あごがいわゆる「しゃくれ」だ。市販の帽子はキツい。多分、頭囲は60cm位だと思う。

 中学校位からそのことで、からかわれることがしばしばあり、自分でも自覚するようになった。そのコンプレックスを勉強で昇華(ごまかす)するような思春期を送ってきた。

 高校では如何に頭が小さく見えるか真剣に悩み、水泳帽を頭にかぶって、髪型を和田アキ子ちっく(笑)にして、通った。制服ではなかったので、服装もなるべく目立たない地味なものを選んだ。ある日、床屋に行った次の日にその髪型のことでクラスメートにからかわれ、パニックになって、担任に「具合が悪い」といって早退したこともある。
 
 東京での予備校時代も勉強に明け暮れていたのだが、前の席に座っていると頭の大きさのことを誰かが言ってるんじゃないかとか、床屋に行くと頭の大きい人だと思っているんじゃないかとか、とにかくそこに執着しながら、勉強していた。

 そのうちに、元々の内向的性格にそういった執着によるストレス、睡眠不足などが重なってうつ病発症となった(と思う)。
 
 今でも、床屋に行くのが嫌だし、床屋の次の日の職場の皆の反応や鏡が異常に気になる。しかし、100%職場での反応はない。いつも、取り越し苦労で自意識過剰なのだ。御歳37にもなって、何故、こんなことを気にするのか、自分も嫌になってくるのだが。

 僕が時々、拝読している「神経質礼賛」という、神経質を自認する「四分休符」先生のブログにも酬形恐怖的患者さんに「もっと悩み甲斐のあることを悩みなさい。」とアドバイスされるくだりがあるが、頭ではつくづくそうだよなあって思う。しかし、体が反応してしまう。自動思考だ。

 今日は床屋に行った次の日の出勤日の朝にこのブログを書いている。気にはなるが、自動思考は沸き上がるだろうが、勝手な妄想を起こすだろうが、騒がず、そのままに、自分を見つめて仕事をしようと思う。
 
 万が一にでも、他人から何か言われたら、その内容に振り回されずに、その聴覚や身体感覚と言った作用を、心の鏡に映しながら静かに吐く息を長くして仕事を続けようと思う。マインドフルネス的にはこんな心づもりでいる。森田療法で言うところの「恐怖突入」である。

 こんなことを床屋に行く度に気にしている。あ~~~恥ずかしい!!情けない男だ!!ワハハ!!自分を笑ってしまえ。
 
 いっそ、「おだやかさんって頭でかいし、おでこ広いし、顔長いですねえ!」って笑われてしまえば良いと思う。その時に「そうだね~、頭でかいんだよ。」って苦笑いでもすれば、このくだらない問題は少しでも片付くのかもしれない。

 思春期に読んだ、芥川龍之介の鼻という小説を思い出します。

 あ~恥ずかし。(苦笑)

 でも、僕は幸せだ。幸せということで間違いない(長井秀和風に)。
 
 古い・・・

 僕の目標は病気を軽くして、8時間働いて家族を守ること。
 
 僕の幸せは心の平穏。

 

私の主治医①

 主治医とはかれこれ約20年の付き合いになる。
 
 僕と歳の差はちょうど30。私が1974年生まれ、先生が1944年生まれだから分かりやすい。
 
 先生の専門はうつ病ということらしい。(当時の教授がうつ病を専門としていたから)
 
 僕は初診の記憶がない。
 
 何故なら統合失調症の疑いで大量の向精神薬を飲まされていたから。親が見かねて強制転院させた。これが幸いした。
 
 なぜ、統合失調症の疑いって誤診されたのか?
 入院先の大学病院の教授が統合失調症の専門だったから。

 主治医曰く、「初診時のおだやか君の顔がひどい顔でね、馬のように薬を飲まされていたのよ・・・」

 何の疾患でもそうだと思うが、特にうつ病の場合、初期治療の失敗は、遷延化や過鎮静(又はその反対)、誤診の誤診(薬剤によって違った精神状態が出現し、またそれを精神科医が勘違いする)と後々の人生に様々な悪影響を及ぼす。その最たるは自殺だろう。

 まあ、しかし、人間万事塞翁が馬、誤診のお陰で今があり、マインドフルネスにも出会うことが出来たから結果オーライ。

 主治医は僕を内因性うつ病と診断し、入院させ、アナフラニール液やセルシン液を使いながら向精神薬の減薬を行った。
 
 まあ、減薬時の離脱症状の苦しみとうつ病回復期の症状といったら、ほんとにキツかった。
 希死念慮、離人感、胸内苦悶(これが一番キツかった)、色々な妄想、強迫的思考、口渇、振戦、食思不振・・・
 まあ、数え上げたらきりがない。

(いつかに続く)
プロフィール

おだやか

Author:おだやか
 双極性障害Ⅱ型、社交不安障害、高機能自閉スペクトラム症との共生の記録。

 SIMTと社交不安障害に対する認知行動療法を実践しています。

 自分の回復と生活を妨げない程度に更新予定につき、ご了承ください。
 

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